2024.06.10

私の最近の研究について 中野和典:日本語日本文学専攻

私は日本近代文学の研究をしていますが、近年は特に、国語教科書に掲載された文学作品について関心を持っています。今回は2024年3月に「福岡大学人文論叢」(福岡大学研究推進部)第55巻第4号に発表した論文「終わりなき終末―村上春樹「青が消える(Losing Blue)」論―」について紹介します。

この論文は、2007年度から高等学校の国語教科書にも掲載されつづけている村上春樹の「青が消える(Losing Blue)」について、書誌的な考察を加えた上で、ミレニアム(千年紀)をめぐる言説と1990年代の終末論、特にフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」とジャック・デリダによるその批判を参照することによって、その同時代性とそれに留まらない作品の意義について検証したものです。

「青が消える(Losing Blue)」は1992年4月にイギリス・フランス・イタリア・スペインの4か国で発行された「LEONARDO」という新聞別冊(1992年にスペインで開催されたセビリア万国博覧会のために編纂されたもの)に掲載されたのが初出で、その約10年後の2002年11月に講談社から刊行された『村上春樹全作品1990~2000① 短篇集Ⅰ』に掲載されたのが日本(語)での最初の発表という、村上春樹作品としても特殊な成り立ちをしているものです(現在、日本語ではこの全作品か国語教科書でしか読むことができない、という点も特殊です)。このため、本論では書誌的な考察をするために「LEONARDO」のフランス語版をフランスの古書店から取り寄せたり、フランス語版と日本語版の本文を比較したりしました。その際、本研究科仏語学仏文学専攻の山本大地氏から多くのご助言をいただきました。

また「青が消える(Losing Blue)」が〈二十世紀最後の夜〉を迎える〈東京〉を物語の舞台として設定していることから、ミレニアム(千年紀)言説、特に千年王国説とその現代宗教への影響についても検討しました。その際、本研究科社会・文化論専攻の小笠原史樹氏から多くのご助言をいただきました。

私は山本氏と小笠原氏からいただいた学恩のおかげで、自分一人では知ったり、考えたりすることができなかったことを論文に盛り込むことができました。お二人に心から感謝しています。本論を作成したことは、他専攻の研究者のお力を借りながら研究領域を横断して問題を追究することの魅力をあらためて実感する貴重な機会になりました。

人文科学に限らず、本来すべての研究領域は、便宜的な区分けでしかないはずですが、それぞれの領域が高度に先鋭化しつづけている現在、ひとりの人間に探求できる領域が、相対的に狭まってしまうのは避けられません。だからこそ、他の研究領域の研究者から助言をいただけることは本当にありがたいことです。私はこのような機会を与えてくれる福岡大学大学院人文科学研究科の研究環境にとても感謝しています。

もし、本論に興味を持っていただけるならば、次のURLから論文をご覧いただければさいわいです。

論文のURL https://fukuoka-u.repo.nii.ac.jp/records/2000338